ログイン「じっとしていてください」
夕暮れの中庭。
リリアは半ば強引にレオンをベンチへ座らせると、すぐ近くのテーブルへ薬草を広げた。 レオンは不服そうだった。「……本当に大丈夫だ」
「患者の“大丈夫”は信用しない主義です」 「患者扱いか」 「病人を病人扱いして何が悪いんですか」即答すると、レオンは口を閉ざした。
反論できないらしい。 リリアは小さくため息を吐きながら薬草を選別する。 熱を抑える青葉草。 痛みを和らげる薄雪花。 炎症を鎮める白銀樹皮。 幸い、公爵家の薬庫には質の良いものが揃っていた。「飲めるものを作ります」
「必要ない」 「必要です」 「……」 「拒否権はありません」昨日、自分が言われた台詞をそのまま返す。
レオンが僅かに眉を寄せた。「根に持つな」
「持ちます」 「そうか」『お前は後悔する』 静かな声だった。 けれど、その言葉は妙に重かった。 夜の静寂。 揺れる灯り。 銀色の瞳だけが、じっとこちらを見ている。 リリアは本を抱えたまま唇を噛んだ。「……それでも知りたいです」 逃げるつもりはなかった。 ここまで来て、今さら見ないふりなんてできない。 レオンはしばらく黙っていた。 何かを考えるように。 あるいは。 迷うように。 やがて彼は小さく息を吐いた。「……座れ」 低い声。 リリアは少しだけ目を瞬かせた。 拒絶されると思っていた。 だが違った。 レオンは部屋へ入り、窓際の椅子へ腰を下ろす。 その姿は相変わらず絵になる。 夜色の服。 銀の髪。 月明かり。 まるで一枚の絵画だった。「……そんなに見られると話しづらい」 「すみません」 思わず謝る。 レオンは軽く額を押さえた。「……お前は時々、妙に素直だな」 「レオン様にだけは言われたくありません」 「俺が?」 「はい」 即答すると、レオンは少し黙った。 否定しない。 最近分かってきた。 この人は、自分に都合の悪いことを言われると静かになる。 分かりやすい。「……本の内容はどこまで読んだ」 「魔物化について少し」 「そうか」 レオンは視線を窓の外へ向けた。 王都の夜景。 遠くに灯る街の明かり。 静かな横顔。「黒霧は、人を侵す」 低い声。「長く触れれば身体が変質する」 「……」 「俺の場合、かなり深く侵食されているらしい」 らしい、という言い方に違和感を覚えた。 まるで他人事みたいだ。「自分のことなのに、随分冷静なんですね」 「実感が薄い」 「え?」 レオンは少し考えるように沈黙した。「痛みはある。熱も。だが、感情が薄くなる」 リリアは息を呑む。 やはり。「怒りも、恐怖も、悲しみも、徐々に分からなくなる」 静かな声。 怖い話をしているはずなのに。 レオン本人が淡々としているせいで、余計に恐ろしかった。「最初は楽だった」 「……楽?」 「ああ」 レオンはゆっくり目を伏せる。「何も感じなければ苦しくない」 胸が痛んだ。 それはどれだけ孤独だったのだろう。「だが」 銀色の瞳がこちらを見る。「周囲は
「じっとしていてください」 夕暮れの中庭。 リリアは半ば強引にレオンをベンチへ座らせると、すぐ近くのテーブルへ薬草を広げた。 レオンは不服そうだった。「……本当に大丈夫だ」 「患者の“大丈夫”は信用しない主義です」 「患者扱いか」 「病人を病人扱いして何が悪いんですか」 即答すると、レオンは口を閉ざした。 反論できないらしい。 リリアは小さくため息を吐きながら薬草を選別する。 熱を抑える青葉草。 痛みを和らげる薄雪花。 炎症を鎮める白銀樹皮。 幸い、公爵家の薬庫には質の良いものが揃っていた。「飲めるものを作ります」 「必要ない」 「必要です」 「……」 「拒否権はありません」 昨日、自分が言われた台詞をそのまま返す。 レオンが僅かに眉を寄せた。「根に持つな」 「持ちます」 「そうか」 「そうです」 妙に素直だ。 調子が狂う。 リリアは薬鉢で薬草を潰しながら、ちらりとレオンを見た。 夕陽が銀髪に落ちている。 綺麗だ……悔しいけれど。 その横顔は、物語に出てくる英雄そのものだった。 ――黙っていれば。「……何を見ている」 視線に気づいたらしい。「別に」 「何か言いかけただろう」 「言ってません」 「顔に書いてある」 「レオン様こそ、顔に出るようになりましたね」 そう言った瞬間、レオンが少しだけ動きを止めた。「あ……」 失言だったかもしれない。 昨日までの彼は、本当に感情が薄かった。 でも今は違う。 少し目を逸らす。そういう小さな変化がある。 レオンは静かに視線を落とした。「……お前のせいだ」 「え?」 「昨日から妙に調子が狂う」 低い声。
翌朝。 リリア・エヴァレットは見知らぬ天井を見上げながら、しばらく無言だった。「……ここどこ」 ぼんやり呟く。 数秒後、思い出した。 ヴァルハルト公爵邸。 銀狼公爵。 契約結婚。 呪い。 昨夜の会話。 そして『……死にたくない』 あの言葉。 思い出した瞬間、胸の奥が妙にざわついた。「……重症ね」 自分で言って、自分で顔を覆う。 昨日会ったばかりの相手だ。しかも第一印象は最悪。 なのに、あんな顔を見せられたら、放っておけるほど冷たくはなれない。「はぁ……」 ベッドから起き上がる。 広い部屋だった。 淡い生成り色のカーテンに柔らかな絨毯、磨かれた家具。 どう見ても客室ではない。 下手な貴族令嬢の自室より豪華だ。 その時、控えめなノック音が響く。「リリア様、失礼いたします」 入ってきたのは若い侍女だった。 栗色の髪。 緊張した顔。「朝食のご用意が整っております」「……朝食」 そういえば昨日、ほとんど何も食べていない。 空腹を思い出した。「ありがとうございます」 ベッドを降りる。 すると侍女が、どこかほっとした顔をした。「……?」「あ、申し訳ありません」侍女は慌てて頭を下げた。「お怒りになって、今朝には帰られているかと……」「帰りたい気持ちはあります」 本音だった。 侍女が困った顔になる。 リリアは慌てて続けた。「でも、あなたたちに怒っているわけじゃないから」「&h
扉の向こう。 静かな足音が近づく。 一歩、また一歩。 リリアは無意識に息を止めていた。 ――来る。 理由なんてない。けれど分かった。 扉が叩かれる。 控えめに二回。「どうぞ」 グレイが答える。 扉が開いた。 銀色の髪に黒い軍服。 そして、静かな眼差し。 レオン・ヴァルハルト。 つい先ほどまで意識を失っていたとは思えない。 いつも通り。 何事もなかったみたいな顔。 けれど、違う。 少しだけ、ほんの少しだけ顔色が悪かった。「閣下」 グレイが頭を下げる。 レオンは軽く頷いた。 そして、銀色の瞳がこちらを見る。 静かに、真っ直ぐ。「……悪かった」 第一声がそれだった。 予想していなかった。 もっと、こう……『余計なことをした』とか。『忘れろ』とか。 そんな言葉が来ると思っていた。「……何がですか」 思ったより声が硬くなった。 レオンは少しだけ沈黙した。「巻き込んだ」 短い。それだけ。 でも、胸の奥、何かが少しざわつく。「説明を受けた」 リリアは言う。「そうか」「それだけですか」「……何がだ」「何が、じゃありません」 静かに、けれど確実に。 怒りが戻る。「最初から知っていたんですよね」「……ああ」「私が必要だから結婚するって」「そうだ」「否定しないんですか」「事実だからな」 ものすごく腹が立つ。「だったら!」 思わず声が大きくなった。
「……レオン様」 返事はない。 銀狼公爵レオン・ヴァルハルトは静かに意識を失っていた。 信じられなかった。ほんの少し前まで氷みたいに冷たい顔で、人を寄せつけない空気を纏っていた男。 それが今は驚くほど無防備だった。「……重い……」 思わず漏れる。 身長差がある。当然だ。 鍛えられた体、支えるだけでも精一杯。「誰か!」 声を上げる。 すぐに扉が勢いよく開いた。 執事長グレイと医師、使用人たちが入ってきた。 そして、銀狼侯爵の様子を見ると全員の顔が強張る。「閣下!」「運びます!」 医師たちが駆け寄る。 ベッドへ移されるレオン。 乱れた銀髪。 閉じられた瞳。 苦しそうな呼吸。 さっきまで見えていた黒い侵食は、ほんの少しだけ薄くなっていた。 それを見た瞬間、医師の一人が息を呑んだ。「……まさか」 グレイも気づいた。 明らかに空気が変わる。 全員何かを知っている。 自分だけが知らない。 その状況が無性に腹立たしかった。「説明してください」 静かな声だった。 けれど、自分でも分かる。怒っている。「……リリア様」「説明を」 グレイが沈黙する。 迷っている。隠すか、話すか。 数秒、重い時間。 やがて、彼は静かに頭を下げた。「……こちらへ」 ◇ 案内されたのは小さな応接室だった。 温かい茶が用意される。 けれど、飲む気にはなれない。「話してください」 正面には執事長グレイ。 白髪混じりの髪に整った礼服。
「……閣下!」 執事の声が廊下へ響いた。 空気が変わり張り詰める。 さっきまで静かだった屋敷の空気が、一瞬で何かに飲み込まれたみたいだった。 レオン・ヴァルハルトは何も言わない。けれど、その銀色の瞳だけが僅かに鋭くなる。「失礼する」 短く告げる。 すぐに部屋を出ていこうとした。「あ、待っ――」 呼び止めようとして、やめた。 今の空気は明らかに何かがおかしい。 扉が閉まり、広い執務室に静寂が取り残された。「……何なの……」 嫌な感じがした。 胸の奥が落ち着かない。 さっきの執事の声。 あれはただ事じゃなかった。 数秒考える。 迷う。 そして――「……帰る空気じゃないわよね」 誰もいない部屋へ呟く。 しかし気になる。 ものすごく。 良くないことだとは分かっている。 でも、薬師として。いや、人として。 あの空気を無視することはできなかった。 扉を開けると静かな廊下の少し先で人の気配がする。 使用人たちだ。何人か集まっている。 みんな顔色が悪い。「……何かあったんですか?」 問いかける。 若い侍女がびくりと肩を震わせた。「あ……」「閣下に何か?」 使用人たちが皆沈黙してしまう。 どうやら迷っているようだ。 言うべきか。 言わないべきか。 そんな顔。「大丈夫です」 少し声を柔らかくする。「無理にとは言いません」 年配の使用人が小さく息を吐いた。「……いつものことです」「いつもの?」「閣下は、お疲れが重なると……時々、お身体を悪くなさるのです」 身体を悪くする。 曖昧な言い方。 隠している。 そう思った。「医師は?」「診ていただいております」「なら」「……治らないのです」 空気が重くなる。 誰も目を合わせない。 まるで触れてはいけない話。 そんな雰囲気だった。「どちらですか」「え?」「レオン様」 気づけば聞いていた。 侍女たちが驚いた顔をする。 当然かもしれない。 婚約者とはいえ今日初めて会ったばかり。 それなのに。「……案内してください」 ◇ 屋敷の奥のさらに奥。 静かな廊下。 使用人が立ち止まる。「こちらです」 重厚な木製の扉。 その前に執事長グレイが立っていた。 こちらを見ると少し驚いた顔をした。「リリア様」「中にいま







